第一章 ハッピーワーク

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「そんなメンドくさいんならイイよ」
その男は鉛筆を放り出した。
「おとうさん、働きたくてココ来たんでしょ?駄目だよ書いてくんなきゃ」
「アンタを訪ねればなんとかしてくれるって聞いたから来たんだ」

この事務所は昼間でも薄暗く、整然というよりはむしろ閑散としている。
特徴といえば俺の背後の書棚がかなり高く、
そこには人類の叡智というべき蔵書が目一杯詰まっている。
あとは事務机とその向かいに低いテーブルとソファ。そのソファに座る男は、上目使いに俺を見据え曲ったハイライトに火をつけた。
「なんとかしようにも必要な情報くんなきゃなんとも出来ないでしょ」
日本には約三万の職種があるそうだ。
俺は出来る限り一人ひとりの資質が活きる職場を探すために
まず『就職適正診断書』を記入してもらう。
ところがココで話が結構つまずく……
現状と自己評価のギャップを受け入れられないのか一切の自己分析を拒絶するケースが多い。

「仕事が決まれば支度金貸してくれるんだろ? 」
「働く意欲があって、俺が信頼出来ると思ったらね」
「幾らだ? 」
まただ……こういうのが週に何人かは訪ねてくる。
この男の目を覚ますには今の逆境ではまだ生ぬるいようだ。
「幾ら貸してくれるんだよ」
俺はラークを灰皿で揉み消し立ち上がる。
男の掛けるソファの横を過ぎ、ドアを開けその男を外にでるよう促した。
「生憎だけど何も差し出そうとしない相手に俺から差し出すものは何もないよ」
「住む家もないワシが何を差し出しゃいんだ! 」
「労働だよ」
男はひとつ大きな溜息をついたあと、俺には目もくれず出て行った。
「本気で人生やり直す気になったら、いつでも相談にのるよ」
俺の声は届いたのだろうか……男は路上に唾を吐き立ち去った。
俺が与えたいモノと連中が求めるモノにズレを感じる。
俺は数日の生活で消える現金を与えるつもりはない。
俺が与えたいのは……人生を切り拓く力だ。

振り返るとコンクリートの階段を降りてくるボブの姿が目に入った。
「おはよボブ」
「お昼過ぎてるよ堀渕さん」
「水商売は夜でも出勤したらおはよなんだよ。知らないの?」
「水商売じゃねえし」
ボブは事務所に入る俺の後をついて来る。
事務所といってもアパートの一室。
コンクリート剥きだしの無機質な、しかも寂れた
この『アパートさちえ』の趣は住居より事務所に向いている。
俺は椅子に座り事務机に足を投げ出した。すぐその真横に立つボブ。
「近いよお前! ソファに掛けろよ」
「……」
「なんだよ……ソファ行けよ」
「一万、前借したいんだけど……駄目かな?」
「そりゃ良いけど、お前が働いた金だし」
財布から一万円札を取り出しボブに手渡した。
「学費は大丈夫か?」
「ありがと……大丈夫だから……」
ボブ、本名は奥山一彦。山形から岡山に一人で出てきて大学に通ってる。
詳しくは聞いてないが訳ありで、親からの仕送りも無い。
今時珍しい苦学生だ。
「俺が大丈夫じゃねぇよ、
この距離で俺が普通に座ると肘がお前のチンコにあたんだよ、
頼むからソファに座ってくれ」

「サービスだよサービス」
漸くソファに向かうボブ……
「前借、今月三回目だけど、どうかした?」
「ちょっと付き合いが続いてさ……」
「親のスネガジリと違って、働く学生は大変だな」
ボブの嘘は解りやすく定まらない視点から察して女に貢いでる可能性大だ。
「堀渕さん、なんかこう……楽に稼げる仕事ないの?」
「楽に? ……楽には無理だな。楽しく稼げる事考えたら?」
「楽しく?」
「好きな事、やり甲斐がある事を仕事にすんだよ」
「好きな事じゃ食っていけないってのが親父の口癖だったけど?」
「好きな事を仕事にすべきじゃないってのは間違いだ。
好きなだけじゃ仕事になんないってだけで、
趣味、特技の枠を超えて仕事の水準にまで昇華すれば
誰にだって好きな事を仕事に出来る」

「前にも話したけど、俺の親父は……別れた方の親父だけど……
お金は苦役に耐えた報酬だっていつも言ってたし、俺もそう思ってる。
悪いけど、堀渕さんの話し現実味持って聞けないんだよね」

「寂しい事言うなよ」 俺はラークに火を点けた。
「確かに親父さんの言う事も一つの現実だ。
親父さんの言葉と俺の言葉、信じた方がお前の未来の現実になる」

「唯心論ってやつでしょ、何回も聞いたよ」
「人は考えた通りの人間になるってね」
健康煙草、レイシに火をつけるボブ。
「俺が聞きたいのは堀渕さんの精神論じゃなくて現実的なお金のつくり方なんだよ」
多分ボブには現実的と世俗的は同義語なんだろう。
「充分現実的だよ。好きな女に尽くすように世の中に尽くせばいんだ。
試しにやってみろ。愛情のかわりに報酬と評価が自然についてくっから」

「尽くすって、今どき演歌の歌詞にしか出てこないよ。そんなんじゃなくてさ……
たとえば悪いことでも上手くやって大金手にするとか。遊んで暮らせる位の。
それっきり足洗うみたいな……そんな話なら魅力的なんだけどな……」

「価値ねぇよ、そんな金」
「お金はお金だろ、価値は同じです」
「いいかボブ。金ってのはどんだけ世間に貢献したかの一つの目安なんだ。痛みを通して患部に気付くように、お金を通して生産と消費のバランスを感じる事が出来る。お金が足らないのはメッセージだ……もっと貢献しろ!成長して生産性を上げろ! っていう」
「それはそうかも知んないけど、働いて稼ぐ場合でしょ、
でも奪っても盗んでも拾ってもお金はお金だから楽した者が得だと思うよ」

「人を泣かせて手にした金には、等価の罪がついてまわんだよ。
人の犠牲の上に成り立つ幸せなんてありえねぇから、マジで」

「人の犠牲ね……いるんだけど、実際そんな人が……」
一つの局面で全てを推し量る。俺も長い間犯し続けた間違いだ。
そいつがどんな奴だろうと絶対不変の法則に逆らえる奴なんていやしない。

「そんな奴、いたら会ってみたいね。いっぺん連れてこい」
「……そのうち連れて来るよ……」
「それよりさボブ、入れといてくれた? 予約」
「予約? なんだっけ」
「お前が言い出したんだろ、サキのマンガ、賞取ったから食事会しようって」
「なんか言ったね、それいつだっけ?」
「今晩だよ今晩。しっかりしてくれよ、俺とお前とサキとハセプの4人な」
「あっゴメン、今晩駄目だわ俺」
「同じアパートの住人としてどうかな、それって。
じゃあお前は別にお祝いしろ! とりあえず3人予約な、いつもの店」

「はいはい、面倒臭いのミナ俺の仕事ね……」
立ち上がり出ていくボブ。
「助手の仕事だよ。文句言ってっと前借させねぇぞ!」
「いつか俺が前蹴りキメてやるよ、このファシスト」
「なんか言ったか?」
勢い良く閉まるドア。
「アイツ性根腐ってるっぽいな、最近特に」

幸せかどうかは別にして、ボブの言ってた男は不幸の自覚なしに
その日の夜もこの街で罪を金に換えていた。

第二章 夜の街

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就職情報ハッピーワークの堀渕からの自分を生きるためのメッセージ。自分の経験とハッピーワークに集う人々の悩みを通して培った堀渕の人生観を毎回ひとつのテーマに沿ってお届けします。

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作者プロフィール

瀧本 博志 (たきもと ひろし)
1967年11月30日生まれ
ガレージキッド制作代行
GEMINI代表

登場人物 登場人物相関図

堀渕善之介 Horibuchi

ボブ Bobu

サキ Saki

ハセプ Hasepu

涼子 Ryoko

キン Kin

安西義弘 Anzai

武藤宰 Muto

木庭誠 Kiba

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