第九章 走れボブ

安西は血だらけで仰向けに転がり、ぼんやりと天井を見詰めながら、こう考えていた……。
『数時間もしないうちに俺は恐らく涼子を護る事も出来ずに死んでいくだろう』今更ながら人生を振り返ると、この幕切れが至極当然の事に思える。

『ゼロ・サム・ゲーム』……限られたものを奪い合う世界。
勝者が奪い、敗者は失う。
人生における勝利とは食物連鎖の頂点に立つ事。それが俺の世界観、信念だった……。

皆そうだろ? そう思ってる筈さ。
実際、俺の耳に入ってくるのはそのテの話ばかり。
違うのは『勝者の自慢』か『敗者の愚痴』か……
目線の違いで本質は同じ世界観に基づく話。
だからそれが真実だと思い込んでいた。
でも永遠に勝ち続ける事なんて不可能だ。
いつかは負けて全てを失う……今の俺のように……。
あんただって例外じゃない
俺と同じ信念で生きてる限り、結果はそうたいして変わらない。
確かにメチャしなきゃこんなに酷い目には遭わないだろう。
でもその違いはゲンコで殴り殺されるか真綿で絞め殺されるか……
その程度だ。それが現実だ……。

でも涼子は違ってた。あいつは違う信念を持っていた。
人の為に尽くす事、役立つ事が天命だと考えていた。
ただ俺が浅ましい世界に引き摺り込んだんだ。
今になって思えば幼稚で脆弱だと思っていた涼子の信念こそこの浅ましい世界から解放される、
最も真理に近い力強いものだったのかも知れない……。

安西はそんな事を考えながら携帯電話で親に助けを求める武藤の姿を見ていた。


その頃涼子はタクシーの中で伏谷に電話をしていたが一向に繋がらない。コールすらしていないようだ。
着信拒否? こんな事は今まで一度も無かった。
この時の為に自分はこの2ヶ月伏谷の店の為に尽くしてきたのに……
肝心な時に伏谷との連絡がとれない事に涼子は言い知れぬ不安と少しばかりの苛立ちを覚えた……
涼子は諦めて携帯をバッグに入れた。
もう伏谷に頼るのはやめよう。どんな運命が待ち構えていようと自分は安西の為に最善を尽くす。
ただ、堀渕の言葉に背いた自分が唯一後ろめたかった。
『せっかく導いてくれたのに……最後まで自分を粗末にしてごめんなさい』
涼子は心の中でそう呟いた。


『アパートさちえ』の外で俺がウンコ座りで煙草吸ってると
ボブが小走りで帰ってきた。
「さっきは悪かったな、ボブ」
ボブは俺の前で立ち止まり肩で息をしている。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「堀渕さん、ヤクザってどうよ」
「ヤクザ? なんなんだよいきなり」
「堅気の人間、殺したりしないよね?」
「ヤクザによんじゃねぇの? あとトラブルの内容にもな」
「相手は篤誠会の木庭。安西って奴が拉致られて涼ちゃんが呼び出された」
俺は思わず煙草を捨て立ち上がった。
「で涼子さんは?」
「止めたんだけど助けに行くって。保証人がどうとか言ってた」
この状況は良くない。木庭が相手じゃ伏谷の手に負えないだろう。
安西って男は下手すりゃ殺されかねないし涼子も無事ではいられない筈だ。
「堀渕さん、涼ちゃん大丈夫だよな?」
「いいかボブ。はっきり言って涼子さんは大丈夫じゃねえ。
若い女がシャブ浸けにされてソープやAV行きなんて珍しい話じゃねえからな」

「脅かすなよ」
「脅かしてる訳じゃねえ、事実だ。
事実を把握して自分の行動を決めろ。後悔したかねえだろ」

「行動って……俺に何が出来るんだよ」
「なんだって出来るさ。お前涼子さんの事愛してんだろ」
「ん? ……あぁ、さっき思いっきりフられたけどね」
「だから? それが何か関係あんのか?」
「関係あんのかって……あるに決まってんじゃんかよ!」
「お前、自分の想いが報われなくても愛し続けるって言ってたよな」
「ホント意地悪りぃなぁ……あん時はあん時、状況変わったんだよ……。
じゃあナニかよ、ひとの女の為に死んで来いって言うのかよ。
俺だってそんな馬鹿じゃねえよ」

「好きな女の為に体はる事のどこが馬鹿なんだよ」
「こっちが好きでも向こうはなんとも想ってないんだ。出来る事には限りがあるよ」
「それって見返りがないと何もしないって事だよな」
「俺は涼ちゃんの店に毎回金払って通って、手すら握ってないんだ。
そんな俺に『見返りがないと何もしない』なんて、よく言うね」

「見返りあったじゃねえか。
他の客のみたく性欲を満たす代わりに、お前は自己顕示欲を満たした。
俺は他のいやらしい男とは違いますって評価を毎回一万払って買ったんだよ」

「酷え事言うよな、堀渕さんて……」
「昨日のお前は安西に殴られた涼子さんを庇えず自己嫌悪に陥ってたよな」
「……あぁ……」
「そん時、俺が何っつったか覚えてっか?」
「ん? ……確か『死ぬほど嫌なら死ぬ気で変われば良い』とか?」
「同じ事繰り返してんぞ、お前」
「昨日とは……状況が違うんだよ……」
「言い訳して逃げてっと、同じトラブルが形を変えて幾らでものし掛かって来るからな」
「うるさいうるさい! 俺一人が助けに行ったとこで、なんとかなる問題じゃないだろ」
「誰が『何とかしろ』っつったよ。『何とかしようとしろ』っつってんだよ」

「だから無理なんだよ」 ボブは俯き力なく呟いた。「俺には……」
「世の中にはなぁボブ、
自分にしか興味が無くて人の為に生きる事を嘲う奴が山程いる。
そいつらは可能性を見過ごして障害を見付ける天才だ。
だから不平不満しか口にしねえ。
そして誰からも心から愛される事はねえ……そんなの人生とは言えなくねぇか?」

「…………」
「今のお前だよ」
顔を上げボブは俺を睨んだ。
「クソみてえな人生が嫌なら自分が変わるしかねんだ」
「クソ扱いかよ」
ボブは大きく息を吐きレイシをくわえた。
「かなわねぇな堀渕さんには」
「遠回しだと伝わんねぇかと思ってさ」
「やっぱアンタが言ってる事、正しいわ。今の俺の人生なんかクソみたいなもんだよ」
そしてボブは真顔で俺に問い掛けた。
「涼ちゃんの事、真剣に愛せたら……俺の人生、少しはマシになるかな?」
「そうだな、大切なのは愛情を自分以外に向ける事だ」
「解んないんだよ」
煙を吐くボブ。
「俺、涼ちゃんの事マジで愛してるつもりだったけど…違った。
教えてくれよ、堀渕さん。愛するっていったいどうすりゃいんだよ」

「いいかボブ、愛ってのは女を口説く呪文でも、独りよがりの感情でもねえ。
その言葉は人間の最も気高い行動を指してる。
愛は動詞だから言葉で伝える事は出来ねんだ」

ボブはやっと俺の言いたい事を理解したらしく、
俺の目を見据えレイシを捨て踏み潰した。
「行動で示せって?」
「そういう事だ……走れボブ」
大きく息を吸い
「チックショーーーー」
ボブは叫びながら走りだした。
ボブの後姿は勢い良く通りを駆け抜け、みるみるうちに小さくなっていった。

人は自分を取り巻くモノ全ての責任を自分自身に見出した時
今まで経験した痛みや苦しみが成長を促すメッセージだった事に気付く。
そしてそれに目をつぶるか立ち向かうかが、その後の人生を左右する。
ボブは今、それに立ち向かおうとしている。俺は今度は心の中で呟いた。
『怖れを突き抜けて、今日よりマシな明日に向かって……走れボブ』

第十章 暴力で砕けるもの

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就職情報ハッピーワークの堀渕からの自分を生きるためのメッセージ。自分の経験とハッピーワークに集う人々の悩みを通して培った堀渕の人生観を毎回ひとつのテーマに沿ってお届けします。

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作者プロフィール

瀧本 博志 (たきもと ひろし)
1967年11月30日生まれ
ガレージキッド制作代行
GEMINI代表

登場人物 登場人物相関図

堀渕善之介 Horibuchi

ボブ Bobu

サキ Saki

ハセプ Hasepu

涼子 Ryoko

キン Kin

安西義弘 Anzai

武藤宰 Muto

木庭誠 Kiba

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