第五章 追い込み

武藤は呼鈴の音で目が覚めた。
昨夜のままの服でベッドにうつ伏せになり、かなり深く眠っていたらしい。
ここに午前中、人が訪ねてくる事はまずない……悪い予感がする。
呼鈴とノックが交互に部屋に響いている。
控え目なノックだがドアを叩いているのは間違いなく男だ。
ドアに近づこうとして立ち上がるとテーブルにひろげたシャブが目に入った。
もし警察なら逃げ場はない。
武藤は慌ててシャブを搔き集めトイレに流した。
顔を洗い髪を掻きあげると鏡に映る顔は死人のようだった。

するといつの間にか呼鈴は鳴りやんでいた。
ドアの向こうに人の気配も無くなっている。
新聞の営業か宅急便ってとこだろう。武藤はシャブを流した事を後悔した。
背中に罵声でも浴びせてやろうとロックをあけた……。
勢い良くドアが開き、後ずさった武藤は腹を蹴られ部屋の中まで転がった。
「何すんだコラ」
武藤が顔を上げるとスーツ姿の屈強な男が二人立っている。
「武藤だな。俺たちは篤誠会のモンだ」
ついに来る時が来たと思ったが現実味がなく武藤は考えていた程の恐怖は感じなかった。
「これから女と逢うんだ。無茶すると警察呼ぶぞ」
一人が目の前にしゃがみ武藤の顔を覗き込んだ。
「うちの木庭さんがお前を呼んでるんだ。用件は解るだろ?」
「解んねぇし行く気もねぇよ」
言い終わると首筋に冷たい感覚を覚えた。
しっかり5秒間スタンガンから武藤の体に高圧電流が流された。


「何寝てんの?」
サキの声で意識か戻った。
「寝てねぇよ」
「座ったままよく寝れるね。いびきかいてたよ」
事務所に入ってきてソファに座るサキ。
「だから寝てねぇって。瞑想だよ瞑想。ノックぐらいしろよ」
「したよ何回も。やっぱり寝てんじゃん。
もうお昼前なのにボブ出勤してないんだね」

「あいつこそ寝てんじゃないの? 昨日、あのあとひどかったんだよ」
「気になるけどウチこれからバイトなんだ。帰ったら聞きにくる」
「なにしに覗いたんだよ。人の安眠を妨害すんじゃねぇよ」
「ほら寝てんじゃん。
昨日の堀渕さんの話し思い出して、あの後マンガのストーリー練ったんだ。
凄く新鮮で結局4時頃までやってた。お礼言おうと思って覗いたの」

「礼なんか良いよ。若い子の為になる良い作品描いてくれればそれで良い」

「そうだね。どうせなら今の時代が少しでも明るくなるような良いメッセージを伝えるつもりだよ」
「上出来だサキ」 俺は思わず軽く手を叩いた。「お前なら出来るよ」
「堀渕さん、ホントに有難う。描けたら真っ先に見せにくるね」
「期待して待ってるよ」
「じゃぁはりきってバイト行ってきます」
そして軽い足取りで事務所をあとにした。
やっぱまだ眠い。
俺は机に足を投げ出し引出しから取り出したアイマスクをした。
こうするといつも数10秒で眠りにつけるがその前にノックが聞こえた。
「忘れものか? サキ」 そのまま俺は言った。「因みにこれは瞑想のポーズだ」
ゆっくりドアが開く気配がして
「堀渕さんですか?」
と聞き慣れない女性の声。
アイマスクを捲り確かめるとドアを背に若い女の子が立っている。
「はい。俺が堀渕ですけど……」
「昨日ボブさんに紹介して頂いて……厚かましく来てしまいました」
その子のはにかんだ笑顔は内面の素朴さを垣間見せる。
俺はアイマスクを外し座りなおした。
「涼子さん?」
「はい。はじめまして」
反り返るほど開いた右手を差し出しながら笑顔で近づいて来る涼子。
俺は机越しにその手を握った。
「ハッピーワークの堀渕です。よろしく」
素朴な行動はどれも自然に身に付いていて嫌味はなく、
その笑顔は若い魅力に溢れていた。
そらボブなら間違いなくイチコロだ。

「ボブ、ちょっと席外してるんで、呼んで来るからソコ掛けて楽にしてて」
「呼ばなくて良いです。戻ってくるまで待ちますから。もし邪魔じゃなかったら」
「今、特に仕事ないから大丈夫だよ。全然邪魔じゃない」
ソファに腰を下ろす涼子。
「ボブさんから堀渕さんの事、色々伺いました」
「俺の事?」 徐に席を立ち。
「涼子さん、珈琲と紅茶どっちが良い? インスタントだけど」
「あっ気は遣わないで下さいね」
「気ィ遣ってる訳じゃなくて俺、珈琲飲みたいから付き合ってよ」
「ありがとうございます。じゃ私も珈琲で」

「アイツ、ロクな事言わないでしょ」 俺は珈琲を入れながら声をかけた。
「堀渕さんの事、凄く尊敬してるのが伝わってきますよ、ボブさんと話してると」
ソファから立ち上がり本棚を見上げる涼子の姿が見えた。
「本、沢山あるんですね」
「自由に読んで良いよ。気になるのがあったら貸したげる」
俺はマグカップを両手に持ってテーブルに置いた。
それを見て涼子はソファに座る。
「本は……ちょっと難しそうですね」
「読みはじめたらそうでもないよ。
あの中には人生を豊かにしてくれる言葉が沢山詰まってる」

マグカップを両手で持ち、何かを考えている涼子。
「堀渕さん、本当に考え方次第で人生って変わるんですか?」
「ボブから聞いたの?」
「昨日ボブさんからその話を聞いて……
もしかして私達今の生活から抜け出せるかもって……」

「私達?」
「私と恋人です。昨日、彼がボブさんに酷い事して、それも謝りたくて来ました」
「君が代わりに謝るの? だったらボブは余計惨めになると思うけどな」
「本人です。もしボブさんが良いって言ってくれたら、直接会って謝りたいって」
「それは良い事だ。誰でも間違いは犯すし、時には人を傷付ける事もある」
「でも不安です。本当に酷い事したからボブさん許してくれるだろうかって……」
「彼氏がボブに何をしたにせよ、怒りや後悔を引き擦るのは良くない。
その事自体よりネガティブな思いを引き擦る方が更にタチが悪いんだから。
そこからは決して良い結果は生まれない。だから一刻も早く手放すべきだ。
許す事は彼氏の為だけじゃなく、ボブ自身の為にも必要な事なんだよ」

涼子は呆然と俺を見詰め、少し間を置いて喋りだした。
「不思議ですね……」
「何が?」
「堀渕さんは今まで聞き慣れた言葉に別の意味合いを与えてくれる。
昨日までは消え入りそうだった未来が少しづつ拓けていくみたい……」


武藤は意識を取り戻した。
ここは篤誠会の事務所。自分はソファの上に縛られて転がされている。
その状況を理解するのにさほど時間は掛からなかった。
自分を囲む5人の中にスタンガンを見舞ってくれた男の顔もある。
「目ぇ覚めたようです」
その男の声で、くわえ煙草に革ジャン姿の木庭が視界に入った。
「スタンガンて気ィ失うんだ。武藤君、良い勉強になったな」
「あんたが木庭か?」
木庭は薄笑みを浮かべ、まだくっきりとスタンガンの痕が浮かぶ武藤の首筋に煙草を押し付ける……思わず呻き声を上げる武藤。
「呼び捨てはねぇだろ。俺、礼儀知らずは嫌いなんだ」
武藤の目の前に椅子を手繰り寄せ、腰を下ろす木庭。
「ナメてんのか? 武藤」
武藤は肩で息をしながら苦悶の表情を浮かべている。
「説明なしでこの扱いかよ。礼儀知らずはお互い様だろ」
「俺をナメて許されるのはイイ女だけだ。
お前の場合、態度改めねぇと生きて帰れねぇぞ」

「俺が一体何したっつんだよ」
あきれ顔で仲間を見回す木庭。
「心当たりねぇのか?」
「昨日停めてあるチャリンコのカゴに空缶捨てたけど、もしかしてアンタのチャリだったとか?」
「それママチャリだろ?」 武藤の胸倉を掴む木庭。
「なんで俺が乗んだよ!」 頬を殴り付ける……。
「次は鼻潰すぞ」
「何もやってねぇつってんだろ!」
「煙草屋の伊藤知ってるか? お前等絶対世話なってるよな」
「……あぁ……」
「昨日お前、伊藤にウチの売人から奪ったシャブ流したろ」
「知らねぇよそんなの。あのオヤジきっとボケてんだよ」
溜息をつき仲間と目を見合わせる木庭。
目配せで一人がラップに包んだかたまりを木庭に手渡す。
「じゃあ本人に聞いてみな」
木庭はラップの中から切り取った耳を取り出し、武藤の目の前に落す。
「なんだよコレッ!」
「伊藤の耳だよ」 歯を見せて笑う木庭。
嘔吐する武藤。昨夜から胃に何も入れてない為血の混じった胃液を吐く。
「30万で許してやるつってんのに土壇場でウダウダ言ってっからアイツは片耳を失った。勿論金もしっかり支払わせた。お前も逆らうのは勝手だがその分失うものが増えるぞ。俺の要求には誠実に応える事をお勧めする」

「いいか。嘘つく度に体刻むぞ」
木庭は武藤の耳にナイフをあてる。
「もう一度聞く。伊藤にシャブ流したのはお前か?」
目を逸らしたまま何度も頷く武藤。
「安西も共犯だな」
武藤は顔を上げ木庭を見据える。
「安西も共犯なんだろ。どうなんだ?」
力なく頷く武藤。
「よし、安西引っ張ってこい!」
取り巻き達は勢いよく事務所を出ていった。

第六章 涼子と安西

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就職情報ハッピーワークの堀渕からの自分を生きるためのメッセージ。自分の経験とハッピーワークに集う人々の悩みを通して培った堀渕の人生観を毎回ひとつのテーマに沿ってお届けします。

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作者プロフィール

瀧本 博志 (たきもと ひろし)
1967年11月30日生まれ
ガレージキッド制作代行
GEMINI代表

登場人物 登場人物相関図

堀渕善之介 Horibuchi

ボブ Bobu

サキ Saki

ハセプ Hasepu

涼子 Ryoko

キン Kin

安西義弘 Anzai

武藤宰 Muto

木庭誠 Kiba

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