第十二章 因縁

『確かに俺は怯えてる』木庭は心の中で言葉を噛み締めた。
あの夜一度逢っただけのこの男を俺は今でも恐れている。
そうだ、あの夜……。
6年前。剋友会は当時神戸でかなり勢力を伸ばしていた。
それを疎んじたウチの本部が『剋友会排斥』を条件に篤誠会の関西進出を全面的に後押しすると言う話が舞い込んだ。いずれはカチ合う新進気鋭の剋友会を潰すなら早いに越したことはない。ウチは二つ返事で引き受けたが……剋友会に対してはあまりにも無知だった。手始めに剋友会のシマを派手に荒らした3日目の夜、ウチが根城にしていた雑居ビルの貸事務所に堀渕が一人で乗り込んできた。
派手な音で扉を蹴破り堀渕は現れた。ウチが飼ってる売人の髪を鷲掴みにして引き摺りながら……。
血ダルマのその売人は白目を剝き、完全に意識を失っているのが遠目にも解った。
「篤誠会はココで良いか?」
そこには幹部の浅井さんと俺の他に3人の構成員がいた。
その中には篤誠会で最も気の荒い横山もいて、奴が真っ先に噛みついた。
「どこのボケじゃコラァ!」
「剋友会の堀渕だ。浅井ってのはどいつだ?」
その瞬間、浅井さんは血の気を失い、見た目にも解るほど体が震えだした。
一瞬の沈黙を横山が破った。
「お前が堀渕か。丁度良い。ねぇ浅井さん」
「何が丁度良んだ? でかいの」
「俺等の関西進出の条件は剋友会潰す事なんだよ」
堀渕に向かって歩き出す横山。
「探す手間が省けたって訳だ」
「やっぱな。そんな事だろうと思ってたよ」
堀渕に対峙する横山。
「たっぷり可愛がってやるぜ。堀渕」
「お前、浅井じゃねえだろ。邪魔だ消えろ」
堀渕は掴んでいた売人の髪を放した。
売人の体は床に俯せに倒れる。
足元から響いたその鈍い音に横山は視線を奪われた……。
その瞬間、堀渕は頭突きを横山の鼻先に叩きこむ
横山が声を上げる間もなく更に追いうちの右肘が鼻先にめり込む。
堀渕はのけ反る横山の髪を掴み、鼻をめがけて膝を蹴り込んだ……。
瞬く間に篤誠会屈指の武闘派横山が堀渕の足元に転がった。
いきなりのそのパフォーマンスにここにいる全員が圧倒された。
この状況はまずい。
「俺に任せて下さい」
俺は浅井さんに一言断り思わず立ち上がった。
煙草に火を点けながら堀渕は俺の方に歩み寄る。
「お前、名前はなんつんだ?」
息苦しくなってきた俺とは対照的に堀渕の呼吸は全く乱れてない。
「篤誠会の木庭だ。木庭誠」
目の前に立つ堀渕の吐く煙が目に沁みた。
「木庭、お前に任せたら俺はどうなるんだ? あ?」
そこで堀渕は自分の額と前髪を伝う血に気付いた。
前髪の隙間から傷口が覗いている。
中指で傷口を確かめ血を見ると軽く溜息をついた。
多分さっきの頭突きで横山の歯が傷付けたんだろう。
堀渕は俺に片手を挙げて待たせると踵を返した……
そして拳にバンダナを巻きながら意識を失い倒れている横山の傍らに膝を付いた。
横山の髪を掴み仰向けにしてバンダナを巻いた拳で口を殴りつける。
無表情に何発も口をめがけて……。
そして指を突っ込み折れた歯を全部掻き出した。
「木庭、これでコイツかなりの尺八上手になったぜ」
何事もなかったかのように俺に向き直るとこう言った。
「生き残れたら試してみると良い」
数分で堀渕は俺を含めその場に居合わせた全員から戦意を奪っていた。
「俺に刃向かう時は覚悟しとけ。殴れば腕を、蹴れば足を失う事になる」
再び俺の目の前に立った堀渕はこれ見よがしに横山の歯を床に落とした。
「木庭、暴力は相手の心を砕かないと意味がねえ。
一番効果があるのは最もシンプルなやり方だ。
複数の人間が一人に、しかも素手でやられたら刃向かう気力も失せる……違うか?」

そこにいる全員に俺の生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた筈だ。
「で、俺が用があるのはお前じゃねえ。浅井だ」
そう言うと堀渕は俺の後ろに座っていた浅井さんの胸板を机を跳び越え蹴りつけた。
そこで俺は意を決してナイフを抜くと堀渕に背後から跳び掛かった。
遅い……恐怖心は体を鉛に変える。
いつもなら倍のスピードでこなせる動きが思うようにいかない。
案の定ナイフを持った俺の右手は堀渕に掴まれる。
俺の腕に堀渕の手が滑りこみ右腕は折り返されナイフが俺の左肩に深々と突き刺さった。
なぜか肩を抉るナイフの刃は焼ける様に熱かった。
俺は仰向けに倒れ深々と突き刺さったナイフを見詰めて状況を飲み込もうとしたが……
肩の激痛以外は全てが現実味を欠いている。
堀渕が柄を踏みつけナイフが肩を貫通したところで俺の意識は途絶えた。


気が付くと俺は病院のベッドの上だった。
浅井さんは3階の事務所の窓から落とされて、一命は取り留めたものの再起不能。
3人の構成員もやがてこの世界から足を洗った。篤誠会は関西進出を諦めて撤収。
今の篤誠会に持ち直す迄、俺や同胞は血の滲むような努力を強いられた。
未だに俺にとって堀渕は人の姿をした災厄に他ならない。
俺は『死』も『孤独』も怖くない。恐れるものは何も無い筈だった……。
だが堀渕だけは例外だ。
この男は死に至るまでの苦痛と屈辱を象徴してる。
それは『死』そのものより恐ろしい……。

「肩の傷は?」
堀渕はまるで他人事のように木庭に訪ねた。
「アンタ見てると疼きだすよ。早く俺の前から消えてくんねえかな」
「ハナから長居する気はねえ。ボブ連れて帰るぞ。そいつ俺の友達なんだ」
「友達?」
ボブを一瞥する木庭。
「もしかしてアンタ今……堅気決め込んでんのか?」
「ああ」
素気なく頷く堀渕。
「ハハッこりゃ傑作だ。アンタが堅気に?」
「それからそこの3人も一緒に連れてくぞ。
友達の友達はミナ友達だってタモリも言ってたし」

「タモリなんか知るか。何勝手な事言ってんだよ」
「森田一義だよ。タモさん知んねえのかお前」
「タモリの事じゃねえよ」 木庭は苛立ち気味に声を荒げた。
「アンタは頂点に上り詰めるか、くたばるかしか選ばねえ潔良い男だと思ってたよ。
堅気だの友達の輪だのアンタの口から聞きたくなかったな」

「友達の輪は言ってねえぞ」
「言ったようなモンだろ」
「あぁ友達の輪的な考え方の事な。タモリは良い事言ってんぞ。
『世界に広げよう友達の輪』、ポーズはともかくあの言葉には真理が含まれてる」

「馬鹿馬鹿しい」
「いいか木庭。誰だって友達を苦しめるのは本意じゃねえだろ? 友達同士ならお互いに助け合う事が自然に出来んだよ。しかもその友達の輪は自分次第でいくらでも広げる事が出来る。敵をつくって苦しむより、どうせなら助け合える仲間を増やす方が良いってな。お前もそう思わねえか?」
「どんだけ綺麗事並べて取り繕っても結局アンタは最悪の悪党だ。
堅気の世界に紛れ込めば今まで犯した罪が消えるとでも思ってんのか?」

「まさか。罪が消えるなんて思ってねえよ。あ、そいつ等のロープ解いてくれ」
堀渕は他の構成員に安西、武藤のロープを解くよう指示する。
構成員達は堀渕と木庭の表情を窺い……ロープを解きはじめた。
木庭は堀渕から一向に目を逸らさない。堀渕は木庭に向きなおり言った。
「俺は間違いに気付いたから改めた、只それだけだ。
過去に固執して罪を重ねるより少しはマシな生き方がしたいと思ってな」

ロープを解かれた安西と武藤、そして涼子がボブに駆け寄る。
「木庭、あいつ等が何やったか知んねえが今回はお前が泣いとけ。
あの二人は俺が責任持って足を洗わせる。
もし次同じような事があったらシメるなり殺すなりお前の好きにしたら良い」

「それって脅しっすか?」
「脅しなんかじゃねえ……俺からの頼みだ」

「ボブさん、大丈夫?」
涼子に揺り起こされたボブはようやく意識を取り戻したが状況を掴めず呆然として
自分を取り囲む涼子と安西と武藤の顔を見回している。
ボブの無事を確認した安西は立ち上がり、木庭の前に歩み寄った。
木庭は思わず拳を固めたが予想に反して安西は静かに喋りだした。
「木庭さん。アンタの性善説、良い勉強になったよ」
その声を聞き木庭は拳に込めた力を緩めた。
「アンタに追い込まれて、俺も真理を理解する事が出来た。誰の心にも、身勝手な思いに塗り込められたその中には、確かに良心が息づいてる……アンタが根絶やしにしたっていう良心がな」
「それで?」
堀渕を一瞥して木庭は安西に向けて口を開いた。
「その良心が現実には何の役にも立たねえって事も理解出来たのか?」
「役に立つさ。真理に逆らったアンタは間違ってる。
今の俺なら迷わず自分の良心に従う道を選ぶ」

「俺が間違ってる? その腫れ上がった顔じゃ説得力に欠けるな」
安西はマルボロをくわえて火を点けた。
「一人ひとりの信条が住む世界を天国と地獄に分ける。
アンタが全てだと思い込んでるこの世界はアンタの枯れた心が創り出したんだ……
俺はこんな世界で生きるのは御免だ」

そう言い終わると安西は堀渕に視線を向けた。
堀渕はかるく微笑み頷いた。
「そんなに嫌うなよ」 木庭は呟いた。
「地獄で頂点目指すのも悪くねえだろ?」
「安しぃセリフでカッコつけてんじゃねえよ木庭」 堀渕が言った。
「素直に自分の弱さ認めて考え改めねえと、お前ぇにこのサキはねえぞ」
「弱さを認める?」
「あぁ。いくら取り繕っても反社会的な行為は弱さの現れだ。
お前の心の中は怖れに支配されてる」

「アンタの話、回りくどくて意味解んねえな」
「お前の世界観じゃ理解し難きぃだろうが、もともとこの世界には愛しか存在しねんだ
木庭は堀渕の言葉に驚き、蔑むような嗤いを浮かべる。
「アンタ俺をからかってんのか? 考えてみろよ、世界中悪意に満ちた犯罪だらけだ。
テメエの欲の為に人の命さえ何とも思わねえ輩で溢れかえってる。
愛なんて探す方が大変だよ」

「それはなぁ木庭、全部お前みたいな人間のネガティブな感情が生みだした結果だ。
もう一度言う、人間の感情が生みだした結果なんだ」

「状況が感情を生みだすんだよ。
この世界には人の欲望を満たすモノが全く足りてねんだ。
力がある奴が独占して、ない奴には何も残らねえ。
そこらじゅうネガティブだらけであたりまえだろ」

「人の欲望を満たす才能をそれぞれ皆授かって生まれてんだよ。自分だけの才能を……ところがどいつもこいつもテメェの欲望満たす事にしか興味がなくて
授かった才能を見付ける事も育む事もしねえ……だから皆が欠乏に喘ぐんだ」

「誰も他人なんか信用してねえからさ。
この世界で人に期待しようモンならそれこそ命取りだ……
だからテメエの欲望はテメエで満たす」

「結局信じるのが怖えんだろ?」 堀渕は薄笑みを浮かべた。
「それがお前の弱さだよ」
木庭は堀渕の言葉に苛立ち、床に唾を吐いた。

そこに涼子と片足を引き摺る武藤、そして濡れた股間を気にするボブが歩み寄る。
堀渕は涼子に言った。
「遅くなって悪かったな」
その時涼子が堀渕に見せた笑顔は彼女の深い信頼を表していた。
「堀渕さん」 ボブが小声で話しかける。
「俺、ションベン漏らしたかもしんない」
「てかお前、ソレ完璧漏らしてるって」
「やっぱそう?」 濡れたジーンズの股間をつまみ。
「もっすご痒いんですけど」
「今日のお前、お漏らしチャラになる位頑張ったんだから、そんなの気にすんな」
「気にするよ! えぇ! 今日の頑張りお漏らしでチャラかよ……えぇ~」

「なんだかシラけちまったな」 木庭は溜息をつき安西に言った。
「まあ堀渕さんの顔たてて、お前ら今日のトコは勘弁してやるよ」
「金は?」 武藤が不安気に尋ねた。
「別にいい」 木庭は素気なく答える。「金が目的じゃねえし」
武藤はヘタり込みそうな脱力感に襲われたが、なんとか踏み留まった。
そこでボブが口を挟さむ。
「堀渕さんの顔たてるって? 二人馴染みなの?」
ボブを黙殺したまま堀渕は木庭に礼を言った。
「有難う。感謝するよ、木庭」
「勘違いしないでくれよ」 木庭は堀渕と目を合わさず、
「アンタの話に納得した訳じゃねえからな」
黙ったまま頷く堀渕。
「ねえ馴染みなの?」 堀渕の肩をつつきながら尋ねるボブ。 「ねえねえ」
「帰れ馬鹿。こいつ連れてって。臭いし」 武藤に頼む堀渕。
武藤はボブの腕を引っ張っていく。
「そんな怖い人と馴染みなの? ねえねえ堀渕さん」
安西は木庭に尋ねた。
「俺たちも本当に帰って良いのか?」
「あぁとっとと消えろ……」 木庭は二人に念を押す。
「ただしこの世界にお前等がもう一度足を踏み入れたら、次は確実に殺すぞ」
「解ってる。頼まれてもゴメンだよ」 と安西は答えた。
「木庭さん」 涼子が前に歩み出て言った。
「私は……あなたがこの世界から抜け出せると信じます」
そう言い残し頭を下げると4人は事務所を出て言った。
ボブが堀渕に問い掛ける声が徐々にフェードアウトされていく……。

「アンタも帰ってくんねえかな堀渕さん。もう用はねえだろ」
「あぁ」 堀渕はもう一本ラークをくわえて 「邪魔したな」 木庭に背を向けた。

「アンタ昔とはまるで別人だ……いったい何があったんすか?」
木庭のその声に振り返る堀渕。
「自分の為に力を行使すればする程、自分自身が孤独な存在になる。
俺は『自分の力も才能も、全て人の為に授かってる』って事に気付いたんだ。そしたら、
前みたく生きれなくなった。あの頃はただ……未熟だったんだろうな」

「それって嫌味のつもりっすか?」
「どうだろ?」 そういうと堀渕は自分の名刺を取り出し木庭に手渡した。
名刺の文字を目で追う木庭。
「就職情報ハッピーワーク?」
「例え世間から弾きだされた奴にでも、そいつの力や才能をカタチに出来る仕事を探す。
それが今の俺の生業だ。まともな人生が送りたくなったら、何時でも訪ねて来い」

「まともじゃなくて結構だよ。俺は今のままで充分満足してんだ」
「そうか……だったら良い。なんならそこでいい子にしてる兄ちゃん達でも歓迎するよ」
そう言って堀渕は名刺を5枚、床に撒いた。
「そんな事して世直しでもしてるつもりっすか?」 木庭は蔑むように言った。
「結局はアンタの自己満足だ。アンタ一人が幾ら頑張ってもこの世界は変わりっこねえ」
「そうかもな……俺ひとりじゃ世界中を変えんのは難しいだろう。
でもな、例え一人でも心構えと姿勢が変われば、そいつを囲む世界は間違いなく変わる。
それが取るに足らない小さな変化でも、俺はそれで充分遣り甲斐を感じてるんだ」

そう言うと堀渕は再び背を向けた。
「アンタみたいな悪党が生まれ変わるなんて、俺は信じねえ」
木庭は堀渕の背中に言った。
「あんな悪党が生まれ変わって善人面なんて……俺は断じて許さねえ……」
ドアの手前で堀渕はもう一度立ち止まった。
「お前が信じる信じねえに関わりなく剋友会の堀渕は死んだんだ。今日の事は他言無用な」
そう言い残すと右手を軽く上げ立ち去った……。

構成員たちが堀渕の名刺を拾うまで木庭は呆然と立ち尽くしていた。
あの男は木庭に6年前と明らかに違う類いの劣等感を植え付けて行った。
木庭は自分が今迄築き上げたのは砂の城で、堀渕は強大な波濤だと感じて……打ち消した。

第十三章 再出発

HAPPY WORK メルマガ

就職情報ハッピーワークの堀渕からの自分を生きるためのメッセージ。自分の経験とハッピーワークに集う人々の悩みを通して培った堀渕の人生観を毎回ひとつのテーマに沿ってお届けします。

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作者プロフィール

瀧本 博志 (たきもと ひろし)
1967年11月30日生まれ
ガレージキッド制作代行
GEMINI代表

登場人物 登場人物相関図

堀渕善之介 Horibuchi

ボブ Bobu

サキ Saki

ハセプ Hasepu

涼子 Ryoko

キン Kin

安西義弘 Anzai

武藤宰 Muto

木庭誠 Kiba

HAPPY WORK BLOG

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