第八章 自己愛の末に

「時間切れだ、武藤。どうすんだ」
「……もう少し……」
「時間切れだっつってんだろ」
木庭の合図で武藤のを縛ったロープが解かれる。
武藤に携帯電話を手渡す木庭。
「今から30分以内に出来るだけ金を集めろ。
お前の割り当ての500万に足らない分は俺のやり方で回収する」

手に取った携帯を思い詰めた表情で見つめる武藤……。
「取り合えず話だけつけりゃ良んだよ。
現金は明日の15時までにコッチが指定する口座に振り込みゃ良んだから」

安西を顧みる木庭。
「それから安西、お前はどうすんだ ?死んで解決か?」
「出来たらアンタを殺して解決したいね」
「そりゃ無理だ、諦めろ。迷いがねえ人間は死なねんだ」
「アンタ不死身かよ」 微笑む安西。
「ホント残念だけど……殺すのは諦めるよ」
「だから……諦めてどうすんだ?」
「俺を殺してくれ」
全員の視線が安西に集まる。
動揺する武藤。
「な、何言ってんだよ安西」
「俺と安西が話してんだ。お前は黙って電話してりゃ良んだよ」
「お袋の財産なんてサラ金でつくった借金程度だ。
俺さえ死ねば……アンタは金の回収を諦めざる得ない」

「お前のオカンに生命保険掛けて殺すことも出来んだぜ」
「500万なんてアンタにとっちゃ端金だ。アンタはそこまでしねぇ。
体面を保つ為のケジメなら俺を殺せば話が早ええ。違うか?」

「ホント、とことん可愛げのねぇ男だ。
でも……腹括ったお前をただ殺すんじゃつまんねえな」

喋りながら安西の携帯をいじっている木庭。
「体面もケジメも二の次で俺の目的はお前を苦しめる事だ。
この『リョウコ』ってのがお前の女か?」

安西の携帯の発信履歴を見せる木庭。
「別れたっつってんだろ」
「お前、別れた女と頻繁に電話すんだな」
「だから別れ話しだよ。もうケリついたからマジで関係ねんだ、そいつとは」
「関係あるなし関係ねんだよ! 
お前の500万、この子に働いて返して貰うってのはどうだ?」

「びびって話伸ばしてんじゃねえよ!」 木庭に怒号を浴びせる安西。
「早く殺せよ、木庭」
テーブルに置いてあったガラス製の大きな灰皿を安西に投げつける木庭。
安西の腹を直撃、鈍い音と呻き声が響き安西の身体が二つに折れる。
木庭は矢継ぎ早に跳び掛かり、前のめりに倒れ込んだ安西の頬の辺りに膝を蹴り込む。
仰向けに倒れた安西に構成員を突き飛ばし馬乗りになる木庭……。
「誰がびびってんだ? あん?」
安西の頬を殴り付ける。
木庭の突然の行動に圧倒され武藤は勿論、5人の構成員でさえ無言で見守るしかなかった。
パーラメントをくわえ火を点け……紫煙を吐く木庭。
「俺はな安西……性善説を信じてんだ」
「それがどうした……シャブ中……」
「人の本質は善なんだ。知ってたか?」
無表情のまま安西を殴りつける。
「世の中、ぬる過ぎて皆気付かねえだけなんだよ。
こういう世界にいるとな……逆に善意だの良心だのの存在を感じる事があんだ」

更に安西に向けて拳を振り下ろす……安西の頬が裂け出血しはじめた。
「はじめて人、殺すとさぁ、どんな奴でもその日の夜に自分の良心の存在を知るんだ。
難しく言うと『自責の念』ってやつか? 
そいつにひっきりなしに責めたてられる訳よ……。
必死で言い訳しても通用しねぇ。なんせ自分の一部なんだから全てを知ってる。
そうするとガキが親に悪さ見つかってこっぴどく叱られた時みたいにホントに心細くなってくんだよ」

また殴る。
「そんで世の中にいる全員が、この良心を通してもともと結び付いてるものなんだって事が見えてくる。 唐突に真理を理解すんだ……『悪は究極の孤独』だって事を」
「何言ってんだテメェ。頭おかしんじゃねぇか?」
「真理を理解した上で俺は自分の良心だの善意だのを根絶やしにした。
その瞬間、俺は究極の孤独と自由を手にいれたんだ。
だから俺には迷いがねえ。何一つ怖いものがねんだ。」

更に安西を二発殴りつける。安西の顔は腫れあがり血ダルマになっていた。
事務所内は静まり返り全員が木庭の気迫に呑み込まれたようだった。
「俺がびびる理由なんてありえねえ」


住宅街の路地を歩くボブ。少し遅れて歩く涼子。
「さっき堀渕さんに言ったこと、本心じゃないですよね?」
ボブは涼子の声が聞こえないかのように歩き続ける。
ボブは自分が堀渕に対してあれ程過剰反応すると考えてもいなかった。
今思えば劣等感、嫉妬、猜疑心……そんな醜い感情に駆りたてられた気がする。
この期に及んでもボブが考えるのは自分の事だけで、涼子の気持ちさえ手に入れば醜い感情から解放されるという錯覚を抱いていた。
「あの彼氏と……別れる気ないの?」
「はい?」
立ち止まり涼子を振り返るボブ。
「昨日の……安西って言ったっけ? あの男とは別れた方が良いよ」
「どうしてですか?」
「アイツは涼ちゃんを幸せには出来ない。
足首掴んで闇の中に引きずり込む類の男だよ」

涼子は立ち止まり少し考えたあと、しっかりとした口調で話しだした。
「さっき堀渕さんに教わった事なんですけど、幸せは誰かにして貰うものじゃなくて自分でなるものなんですよね。私、恋人には幸せにしてくれる人じゃなくて、幸せにしたい人を選びます。 あの人の手を取って引き上げる存在になりたいんです」
ボブは心の中で叫んだ『やっぱり世の中は不公平だ』
自分は殴らないし決して恋人を風俗なんかで働かせない。
好き勝手振舞っている安西が愛され、
自分が拒まれる事がどうしても納得出来なかった。

人はどんな金言よりも自分の考えが正しいという錯覚に陥る傾向がある。
『世の中は公正である』という真実を受け入れる事が出来たら自分の見落としに気付き、また自らを客観視して、いち早く成長に結びついた筈だった。
「アイツの代わり……俺じゃ駄目かな?」
「ボブさんが駄目な訳じゃなくて……」
「俺には何が足りない? 変わる必要があるなら何だってするよ。身長は無理だけど……」
「ボブさんに足りないものなんてありません。
だから私の為に変わろうなんて思わないで下さい」

「じゃあ俺はいくら頑張っても無駄だって事?」
涼子は俯き少し考えた後、しっかりとした口調でボブに思いを伝えた。
「私が安西と別れて、ボブさんと付き合う事でしか報われないなら、
ボブさんに何をして貰っても……全て無駄になると思います」

あまりに期待と違う内容で、ボブはすぐにその意味が理解出来なかった。
涼子の言葉の中に拠り所になる部分が見付かるまで、心が理解を拒んでいるかのようだ。ボブは立ち尽くし、子供の頃、無理矢理食べさせられたピーマンを思い出していた。いくら飲み込もうとしても喉を通らず、苦味が嘔吐を催し何度も吐きだしたものだった。
「友達として付き合って貰えるなら、私は誓って100%、ボブさんの気持ちに応えます」
「そんなのいい。あなたは友達、あなたは良い人……そんな在り来たりの口実なんて聞きたくないよ」
「どうして友達だと駄目なんですか?」
「曖昧だからさ。
俺は涼ちゃんの事を真剣に愛してるつもりだから曖昧だとホントつらいんだ。
愛じゃなければいっそ憎しみ方が……楽でいい……」

「私はボブさんを楽にする為に憎んだりしません。
そもそも恋人と友達の違いって、肉体的な関係と優先順位くらいなもんじゃないですか?
愛してるには違いないのに何がボブさんをそんなに辛くさせるんですか?」

執着だ……ある種の衝撃を受けボブは昨夜の堀渕の言葉を思い出した。
自分が涼子に抱いてるのは愛情ではない。
「堀渕さんと話してるみたいだ。
俺なんかと違って涼ちゃんは堀渕さんの優秀な生徒だね」

ボブのその言葉で涼子の表情が一瞬にして穏やかになった。
「ボブさんがお店に通ってくれて、あんなお店なのに何もしないで話をしてくれて……
すごく嬉しかったんです。こんな私でもまだ人として扱ってくれる人がいるんだって……」


涼子の携帯がなりはじめたが、気に留める様子もなく話し続ける。
「私はボブさんの事、大好きです」
「ありがとう……嬉しいよ……」
しかしボブが聞きたかったのはそんな答えじゃなかった。
無表情に立ち尽くす二人の間を携帯の着信音だけが鳴り響いている。
「涼ちゃん、電話出なよ」
「後でかけなおします。今の会話の方が大切ですから」
「電話に出て。俺の事、少しそっとしてくれないかな」
涼子は頷き、バッグから携帯を取り出すと安西からの着信だった。
ボブに背を向け耳にあてた。
「えらい待たすじゃない。リョウコさんか?」
聞こえてきたのは安西の声ではなかった。
涼子はその掠れ声に嫌悪感を抱きながら震える声で訊ねた。
「誰ですか?」
「俺か? 篤誠会の木庭ってモンだ」
返り血を浴びた手で安西の携帯を耳にあてる木庭。
「あんたの彼氏、くたばりかけてっから代わりに電話したんだ。
別れの言葉聞いてやんなよ」

そう言い木庭は自分の下で血達磨になっている安西の耳に携帯をあてた。
「……涼子か?……」
「義弘さんどうしたの? 何があったの?」
片耳をおさえ電話口の声に集中する涼子。
「起こって当然の事が起きたって訳だ……虫けらが一匹くたばるだけさ」
「何いってんの? ねぇどういう事か説明して」
「俺なんかに逢わなけりゃ……つらい思いしなくてすんだのにな……。
涼子……今日限り俺の事は忘れて、幸せになってくれ……」

「いい加減にして」
涼子は低い声で呻いた。
「自分だけカッコつけないでよ! 
貴方は私の為に泣きごとひとつ言わずに傷ついてさぞ気持ちが良いでしょうよ!」

涼子はいつの間にか涙を流し叫びに近い声を上げていた。
「あなたは良いわよ、自己満足に浸って死ねるんだから!残される私の身になってよ!好きな人を犠牲にして幸せになんかなれる筈ないじゃない!!」
涼子の声を電話越しに聞く安西の右目から涙が零れおちた。
「覚えておいて義弘さん。私は誰よりもあなたを愛してる」
ボブは想いの全てを安西にぶつける涼子の姿を呆然と見詰めていた。
「あなたが傷つけば、私はそれより深い傷を自分に刻む。あなたが涙を流すなら、
私はそれより多くの苦い涙を流す……だから私の為に死なないで」

「どうしたんだ涼子」 薄笑みを浮かべる安西。
「泣き虫のお前が……カッコ良過ぎんじゃねぇか」
携帯を自分の耳にあてる木庭。
「リョウコさん、どうだ? こいつ助けたいのか?」
「勿論です。どうしたら良いですか?」
「こいつは俺に500万の借りがある。
あんたが保証人になるなら生かしといてやらない事もない」

「篤誠会の木庭さんですね。これからすぐ向かいます」
「じゃあ待ってっから。こいつの事思うなら間違っても警察なんか行かないようにね」
「約束します。保証人でも何でもなりますから、私が行くまで義弘さんに指一本触れないで下さい」
「解った、俺も約束するよ」 そう言って電話を切る木庭。
「アンタが来るまでは何もしねえ」

「篤誠会?」 ボブは動揺して涼子に声を掛けた。
「ホントに行くのか涼ちゃん」
頷く涼子。
「木庭っていやぁ最近出所してきた極悪人だ。行っちゃ駄目だよ。絶対無事帰ってこれないって」
「いいんです」 微笑む涼子。
「例え無事帰れなくても後悔はありませんから」

ボブはどれだけ説得しても涼子が思い留まる事はないと感じていながら
ただ言い訳のように引き留める役を演じているに過ぎなかった。
そして内心は行動で愛を体現する涼子にその愛を口先で語っていた自分を恥ずかしく感じていた。
「ボブさんと堀渕さんに逢えて本当に良かったと思います」
後退りながら涼子は言った。
「今なら生かされてるんじゃなくて自分で生きてるって実感が持てます」
「涼ちゃん、行っちゃ駄目だ。警察に連絡すりゃなんとかなるって」
「私がなんとかします……さよならボブさん」
涼子は背を向け走りだした。

第九章 走れボブ

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就職情報ハッピーワークの堀渕からの自分を生きるためのメッセージ。自分の経験とハッピーワークに集う人々の悩みを通して培った堀渕の人生観を毎回ひとつのテーマに沿ってお届けします。

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作者プロフィール

瀧本 博志 (たきもと ひろし)
1967年11月30日生まれ
ガレージキッド制作代行
GEMINI代表

登場人物 登場人物相関図

堀渕善之介 Horibuchi

ボブ Bobu

サキ Saki

ハセプ Hasepu

涼子 Ryoko

キン Kin

安西義弘 Anzai

武藤宰 Muto

木庭誠 Kiba

HAPPY WORK BLOG

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